7月1日〜7日 小樽で真夏に囲まれる



















今週は少し落ち着いた日々。

木曜日を除いて、夜11時には帰宅できた。それでも十分忙しい日々だが、せめてこのくらいの忙しさが続いてくれればいいと思う。自分が好きで選び取ったこの忙しさなわけだが、少し息切れがしてくる。

昨日土曜日は午後から出勤の予定だったが、偶然、午後4時からバッハのオルガンコンサートがあると知って、いてもたってもいられなくなった。

しかも大好きなトッカータとフーガニ短調BWV565。

変な話、私はバッハが大好きだが、いつも聞きながら寝てしまう。寝に行くようなものだと思う。むしろそれでいいと思っている。バッハを聞きながら寝るのは何故かすごく幸せな気がするからだ。

他のコンサートの時と違って、寝ても全く後悔しないばかりか、却って嬉しかったりする。

案の定、最初のトッカータとフーガを聞いて、電流に打たれたように体がしびれて、そのうち意識は中世に飛んでいった。前半の休憩になってやっと意識が戻ってきた。

なんて幸せなんだろう。

後半はずっと起きていて、小フーガなどの演奏を楽しんだ。

夕方になって研究室に出勤したが猛烈な暑さ。網戸を使って仕事をしたがこれがいけなかった。

網戸をかいくぐって小さな虫たちがまとわりつく。

パソコンのキーボードの一つ一つに虫が羽を休めていて、虫をつぶしながら仕事する事態にとうとう音を上げて自宅に戻った。

日曜日は快晴。午前中の仕事を片付け、パソコンと本を持って電車に飛び乗った。

小樽ぴざはうすで久しぶりのピザランチを食べて、ホテルのカフェで2時間ばかり仕事。

水天宮の近くの別のカフェに向かって坂道を歩き始めた。

夏、夏、夏。

まわりに夏が溢れている。

カフェに向かう山道。わっと道にせり出した木々。

ここにも夏が溢れている。

猛烈な既視感にとらわれてしばし立ち止まる。

かつてこんな夏の日差しの中にいたことがあった。

幼いころ、遊んだ和歌山の海や大阪の里山

学生時代の、よく歩いた夏の嵐山。

東京に出てきたばかりの頃、高校の同級生と落ち合って歩いた由比ガ浜

まだ未来が定まっていなかった頃の自分がフラッシュバックのように蘇る。

自由だったあのころ。未来が不安だったあのころ。

なんなのだろう、この感覚。

5年ほど前、一人で島根の海岸を歩いていて、同じような既視感にとらわれた事を思い出した。

あの時は幸せな既視感だった。だが今日はなんだか切ない。もっと前の、遥か昔の夏の既視感も含まれているような、そんな怪しい感じがする。

しゃれたカフェはそんな私の感傷を断ち切ってくれた。

海からの涼風が心地よかった。