サハリン明滅

話しは前後するが、3月末、サハリンに出張した。

ロシアに5年駐在した私も、サハリンの地を踏んだのは初めての経験だった。

新千歳空港から「オーロラ航空」に揺られてたった1時間でユジノサハリンスク空港に到着する。

なーんだ。羽田より近いじゃなか。考えてみれば当たり前であるが。

ユジノサハリンスクは日本の樺太統治時代は「豊原」と言った。日本の政庁があり、今も博物館として使われている。

北海道拓殖銀行の豊原支店。これも博物館。ここは日本領だったんだ、と思うと複雑な気持ちになる。

それにしても、こんなに街に高級RV日本車が溢れている場所を私は知らない。

レクサスがこんなに多い町ってあるだろうか?

5階建ての巨大なショッピングモールに行くと、ブランド品がズラリ。

石油と天然ガスで潤ってガッポリ税収があるので、サハリン州政府の公務員の給料は、北海道庁の職員よりはるかに高いらしい。

空き時間、ユジノサハリンスクから車で1時間の、コルサコフを訪問した。

高台に登って、日本への液化天然ガスの積み出し風景を見る。

パイプラインが海に伸び、横付けされた巨大タンカーにLNGガスが送り込まれている。

振り返れば、何か塔のようなものが建っていた痕跡が。傍らに引き倒され、半分雪で埋もれている石碑の文字を読むと、「日本海兵隊上陸記念碑」

日露戦争南樺太を手に入れた日本軍が、ここから上陸し、樺太を占領したのだろう。

もう一基の碑の跡。ここは、ハッキリ「忠霊塔」の文字が見て取れる。鯉登行一陸軍中将の筆。塔自体は辺りを探したが見つからなかった。

60年前の太平洋戦争の敗戦時、ソ連軍の上陸を前に、サハリンの真岡では、電話交換の業務についていた、9人の若い女性たちが「皆さんこれが最後です。さようなら、さようなら」という電文を打電後、自決したとされる。

失ったものは大きいな。