6月4日〜9日 函館は幕末の香り
この週は本当に慌ただしく過ぎていった。
午前3時過ぎに自宅にたどり着いた日もある。
北国の夏は朝が早い。明るくなり始めた大学構内をいそいそと家路に向かう。
金曜日の朝は出張のため、朝7時半札幌発の北斗4号に乗る必要があり、早起きしたので睡眠時間3時間ほど。
汽車に乗り込んで函館に着くまで3時間半だが、乗り込んですぐに寝込み、汽車の発車ベルが鳴ったのすら憶えていない。
気がつけばもう函館の手前、五稜郭だった。隣席の客はいつの間にかいなくなっていた。
仕事を終えた夜、バスで函館山に登る。
最初は霧がかかっていて何も見えなかった。
待つこと20分、突然強風が吹き、霧がスッキリ晴れときに見えた函館の夜景は本当に絶景だった。
ホテルに戻り、福島第一原発の吉田所長のインタビューに基づいて書かれた「死の淵を見た男」を読み進める。
時々本を閉じる。
こみあげるものがあって、なかなか読み進めることができない。
あるべき指揮官とは何か。
死を覚悟で職業上の義務をまっとうするのか、家族のためにその場を離脱して生き残る道を選ぶか
どちらが正しいとは言えまい。ただ、私がそのような立場に追い込まれたときどうするか、としばし考えた。そして、自分なら・・・今は考えるのは止そう。でもその時こそ、自分が試されるときなのだ。
「残るか、避難するか、自分が決めてくれ」と言った所長に対して、残った人たち、去っていった人たち。
そして「残った」人たちの諦観と強い連帯感。
去った人たちに対する苦い思いとそれを忘れようとする努力。
妻として、母としての家庭を顧みずに、最後まで職務に忠実に、所長たち「残ったもの」を支えた東電の女性職員たちの苦闘も初めて知った。
どんな場合も、自分の職業と、求められる義務に対して、誠実でありたいと思う。
翌日、早起きして廃止が決まっている江差線に乗った。
一両編成のディーゼルカーは、新緑の山をかきわけ、川面に車両を映し出しながら田植えの終わった田園地帯と初夏の森林を駆け抜けた。
終点の江差駅は、素晴らしい快晴の中にあった。
来年の春には廃止になる。この駅もやがてひっそりと夏草に覆われる日が訪れるのだろう。
オランダで建造され、喜望峰を回って日本にやって来たが、徳川幕府に引き渡されて2年足らず、箱館戦争で嵐に遭い沈没、100年後に引き上げられ、博物館として蘇った開陽丸を訪ねた。
長い間海底にあって腐食した銀食器を眺める。榎本武揚や徳川慶喜もこれを使って食事しただろうか、なとど考えた。
幕末の日本の匂いがした。
江差から函館に路線バスで戻り、定期観光バスで五稜郭とトラピスチヌ修道院を訪ねる。
五稜郭はつつじが満開であった。
トラピスチヌ修道院は女子修道院である。ここの修道女は、自身の病気と、肉親の危急の病気、そして選挙の時以外は、修道院から出ることは許されない。修道女をやめようと思っても、ローマ教皇の許可がいるという。
毎日午前3時半に起き、畑作業や工芸品の制作、土産のバター飴などを作りながら、ひたすら祈りを捧げる日々。
神に身を捧げることとは、こういうことなのか、と深く考えさせられる。
90歳代から20代までさまざまな修道女が、静かな祈りの中で過ごしているという。
人間の幸せとは何なのか。