忘れられた日本人

私は民俗学者宮本常一氏の手によるこの本が大好きでよく読み返す。本日も出張の新幹線の車中で読んだ。

自分の祖父母や両親が生まれ、育った時代、すなわち、ほんの数十年前まで、日本はこんな国だったのか、といつも新鮮なショックを受ける。

重機のない時代、港内にごろごろする大岩を手漕ぎ舟だけで除去し、港として整備した対馬の翁の話。
隠居した後、見聞を広め村にそれを還元するために易者とともに全国を歩いて行脚した河内の翁。そして翁が旅先で体験し、見聞きした風雅な艶話。
それらは懐かしくも失われつつある、あるいは失われた日本の姿である。
昔の人はすごい、と思う。その知恵と努力においても、限られた人生を楽しもう、という欲求においても。

時間がゆっくりと流れ、夜が本当の漆黒の闇に支配され、その中で人が、「にんげん」としての暮らしを営むなかで、今となっては、おとぎ話のような物語が紡がれてきたのであろう。

そして、圧巻は「土佐源氏」である。土佐山中の橋の下で暮らす盲目の老人の口から語られる若い頃の女性遍歴は、単なる好色物語ではない、男も女も、限られた人生を懸命に生きようとしていた、そのような人間の生の濃密さを感じるのである。

平均寿命はこの時代に比べて倍になった。が、人生の密度という点ではどうだろうか。1日1日の密度は、格段に薄く、軽くなっているのではないか。