石光真清自伝4部作を読破する

明治から昭和初期にかけて、軍人という身分を隠してロシア極東、満州地域で洗濯屋、写真屋として諜報業務に従事し、失意の帰国後、世田谷で郵便局長、そして軍の要請で大正期にさらに満州にわたり、諜報、工作任務に従事、最後は借金を抱えて失意の中で他界した石光氏の自伝。

面白くて、スリリングで、そして人生とは何かを深く考えさせる傑作で、4部作を一気に読破した。

熊本での幼少、青年時代、さらに上京して軍人になるまでを描いた「城下の人」。炎上する熊本城、子供たちと西郷率いる薩摩軍との交流など、西南戦争を体験した生々しい戦争の実情が実に興味深い。

続く「曠野の花」。ウラジオに上陸、そこでは、陸軍の中佐が浄土真宗の僧に身をやつして活動中。本人もロシア語を習得するため学生に身をやつしてフラゴベヒチェンスクに留学、ロシア軍人宅に寄食。満州馬賊棟梁との交流。そして、何より興味深かったのは、東シベリアにも、多くの日本人女性がいわば「からゆきさん」として身売りされ、春をひさいでいた、という事実、そして、その中には、自伝中「お花」として登場する女性のように、馬賊頭の妻として、多くの手下を操る女傑にのし上がる者もいたのだから、本当に人生は分からない。それに、明治33年ごろ、フラゴベヒチェンスクで、清国人の3000人がロシア軍によって虐殺された事件があったことを初めて知った。

「望郷の歌」。敵味方入り乱れて戦い、屍を何度も乗り越えて勝利した日露戦争。そして失意の帰国。抱えた借金。どうも石光氏は軍人としては素晴らしかったが、部下に恵まれず、言葉巧みにすり寄ってくる者に金を持ち逃げされて借金だけが残るとか、苦労の絶えない人生だったようだ。親族の世話で世田谷の郵便局長になり、やっと手に入れた、家族との平和な日々。しかし、時代は彼にその平和な日々が続くことを許さなかった。

最後の「誰のために」。軍の要請で再びシベリアの地を踏んだ石光氏は、ロシア革命後のボルシェビキの革命軍と反革命軍の争いの真っただ中に放り込まれる。多くの日本人の保護をどうするか、悩んだ挙句、反革命軍の側につくが、結局日本人自警団の中に戦死者を出す。日本軍の方針は定まらない。(同じ時期、ニコラエフスク(尼港)では、革命軍に日本人居留民、軍人700名が殺される「尼港事件」が起こる。日本軍の「シベリア出兵」は日本史の授業で詳しく習った記憶がないが、初めてその深い意味、中途半端に終わった時代背景を知ることが出来た。)
結局彼はまたしても借金を抱えて帰国。「君は誰のために働いたのか?ロシア人か?」と叱責される。

そうだ、この「誰のために」は、混乱の時代、極東と日本の歴史の中でもみくちゃにされながら生きた石光氏の悲痛な叫びだ。

明治、大正、昭和という時代は何だったのか、この時代の日本とは、ロシアとは、そして戦争とはなぜ起こるのか、そのとき、ひとはどのように行動するのか、「人の命を守る」とはどういうことか、そして、人生における決断とは、等々、重いテーマをこれでもかこれでもか、と投げかけてくる。

それにしても痛快なのは、体一つでこの地に飛び込み、人生を切り開いていった「お花」のようなからゆきさんがいたことである。なかにはオ米さんのように、石光氏の命を救う働きをしながら、満州の地に消えていった女性もいる。きっとそのほうが多数派だろう。それを考えると、シベリア、満州の地に消えていった多くの同胞の魂安からんことを祈らずにいられない。