人魚の眠る家

【ネタバレです】


脳死と心臓移植。失われる命と新しく生まれ変わる命。
脳死は死か否か。現状の日本は、それは本人の意思と遺族が決めること。
まだ温かく、反応もある娘を死んだものとして認めることができない母。
最先端の科学技術によって、娘は神経ネットワークに人為的に流れる信号によって動かせるようになった。人為的に笑わせることもできる。でもそれはとてもグロテスクなことだと父は気づく。でも母は受け入れない。それはむしろ生きている証なのだと母は思う。夫妻の考えは相いれない。


この映画のハイライトは、なんといっても娘がこれまで懸命に介護してくれた母にお礼と別れを告げに来る場面である。これでようやく母は、娘の死を認め、心臓移植を承諾する。娘の心臓は命の灯が消えかけた誰かに新しい命を吹き込む。どこかで娘の心臓は鼓動し、誰かの命をつないでいる、という思いに支えられて夫妻は生きていく。

 

それにしても、ラストシーン。娘の心臓を移植されたと想像される男の子が、かつて偶然会った脳死の少女の家を訪ねたら更地になっていた、という結末。これは何を意味しているのだろう。命を渡した者と渡された者の交流は許されず、渡された者はただ、渡した者とその肉親の思いを受け止めて生きていくしかないのだ。