毛利甚八「家栽の人から君への遺言」を読む

私の大好きな漫画「家栽の人」の作家毛利甚八氏。

先日がんとの闘病の結果亡くなったが、彼の遺書ともいえるのが本書。
佐世保の同級生少女殺人事件を起こした少女への手紙という形式の中で、生と死の意味について、その意味を切々と説いている。

氏が離島で魚を追っているときに気づいた、「人間の生の意味は、他者との関係の中にこそある」、という考えは、私にとっても救いのように感じる。

犯罪被害者と加害者には永遠に接点はないのだろうか、両者にとって救済とは何か、考えさせられる。

人間の温かさについて教えてくれた氏の冥福を祈りたい。

橋口亮輔監督の「恋人たち」を観る

かねてより観たかった、この映画を「キネカ大森」で見た。

通り魔に愛妻を殺された夫の遣り場のない怒り、地を這うような人間の深い情念が素晴らしい演技で表現され、あっという間の140分。

救いがないような世の中で、ラストシーンではひとかけらの救いが。

からっと楽しい、アクションのすごい映画もいいが、映画館を出て1分で忘れる。

それよりも、あいつはおかしい、とか、あの子に共感する、とか、一日中ああだこうだと余韻に浸っていたれる、「後を引く映画」が好きだ。

この映画も、生きることの残酷さ、苦しさをこれでもかこれでもか、と見せながら、でも最後は、「でも生きて行かねば」と思わせる良い映画だった。

子供ホスピス

日比谷図書館で、作家の高橋源一郎氏を囲んで、氏の英国子供ホスピス見学体験を聞きながら、日本の子供ホスピスのあり方について考えを巡らせる。医療関係者を中心に15人くらいでのディスカッション。

「ここは死ぬ場所でなく、よりよく生きる場所」
「ここに来た子供たちは必ず聞く。「私は死ぬの?」と。その問いを絶対ごまかしてはいけない。答えをもらった子供は二度と問いを発することはない。それは大人を苦しめることになると知っているから。子供たちは大人より賢い」
「アニマルセラピーにやって来る動物たちも、捨てられた動物たちだった。人間不信に固まった動物たちが、逆に子供たちに癒されている」
「子供ホスピスは社会のお荷物ではない。周りの人間に勇気と優しさを与える場所である」

重い言葉の数々に胸を刺し抜かれて、しばらく茫然とした。

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不思議な夢

先日のこと。ある大学の記念パーティーに招待されていて、はがきで出席の予定と伝えていたが、式典前日風邪を引いてしまい、当日である翌日の日曜日のパーティー欠席を決意して床に就いた。週末ゆえ、私の欠席を伝えられないことが気がかりだった。

その夜、夢を見た。

夢の中でその大学の学長先生に会ったので、「先日は招待いただいたパーティーに欠席してしまい大変失礼しました」と詫びた。

すると学長が、「いいんですよ。あの日の朝あなたが私の夢に出てこられて、今日は行けなくなりました、とおっしゃいましたので」と答え、私は安堵した、ざっとそんな夢だった。

目が覚めた後も、「ちゃんと伝わったようで良かった」、と寝ぼけた頭で考えていた。

あれは夢だったのだ、とハッと思い当たったのはしばらく経ってからだった。

妻に話すと、「あなたはホントに自分に都合の良い夢をみるのね」と笑っていた。

入れ子になった複雑で不思議な夢。今度学長先生に会った時に確かめたいような、確かめたくないような。

石光真清自伝4部作を読破する

明治から昭和初期にかけて、軍人という身分を隠してロシア極東、満州地域で洗濯屋、写真屋として諜報業務に従事し、失意の帰国後、世田谷で郵便局長、そして軍の要請で大正期にさらに満州にわたり、諜報、工作任務に従事、最後は借金を抱えて失意の中で他界した石光氏の自伝。

面白くて、スリリングで、そして人生とは何かを深く考えさせる傑作で、4部作を一気に読破した。

熊本での幼少、青年時代、さらに上京して軍人になるまでを描いた「城下の人」。炎上する熊本城、子供たちと西郷率いる薩摩軍との交流など、西南戦争を体験した生々しい戦争の実情が実に興味深い。

続く「曠野の花」。ウラジオに上陸、そこでは、陸軍の中佐が浄土真宗の僧に身をやつして活動中。本人もロシア語を習得するため学生に身をやつしてフラゴベヒチェンスクに留学、ロシア軍人宅に寄食。満州馬賊棟梁との交流。そして、何より興味深かったのは、東シベリアにも、多くの日本人女性がいわば「からゆきさん」として身売りされ、春をひさいでいた、という事実、そして、その中には、自伝中「お花」として登場する女性のように、馬賊頭の妻として、多くの手下を操る女傑にのし上がる者もいたのだから、本当に人生は分からない。それに、明治33年ごろ、フラゴベヒチェンスクで、清国人の3000人がロシア軍によって虐殺された事件があったことを初めて知った。

「望郷の歌」。敵味方入り乱れて戦い、屍を何度も乗り越えて勝利した日露戦争。そして失意の帰国。抱えた借金。どうも石光氏は軍人としては素晴らしかったが、部下に恵まれず、言葉巧みにすり寄ってくる者に金を持ち逃げされて借金だけが残るとか、苦労の絶えない人生だったようだ。親族の世話で世田谷の郵便局長になり、やっと手に入れた、家族との平和な日々。しかし、時代は彼にその平和な日々が続くことを許さなかった。

最後の「誰のために」。軍の要請で再びシベリアの地を踏んだ石光氏は、ロシア革命後のボルシェビキの革命軍と反革命軍の争いの真っただ中に放り込まれる。多くの日本人の保護をどうするか、悩んだ挙句、反革命軍の側につくが、結局日本人自警団の中に戦死者を出す。日本軍の方針は定まらない。(同じ時期、ニコラエフスク(尼港)では、革命軍に日本人居留民、軍人700名が殺される「尼港事件」が起こる。日本軍の「シベリア出兵」は日本史の授業で詳しく習った記憶がないが、初めてその深い意味、中途半端に終わった時代背景を知ることが出来た。)
結局彼はまたしても借金を抱えて帰国。「君は誰のために働いたのか?ロシア人か?」と叱責される。

そうだ、この「誰のために」は、混乱の時代、極東と日本の歴史の中でもみくちゃにされながら生きた石光氏の悲痛な叫びだ。

明治、大正、昭和という時代は何だったのか、この時代の日本とは、ロシアとは、そして戦争とはなぜ起こるのか、そのとき、ひとはどのように行動するのか、「人の命を守る」とはどういうことか、そして、人生における決断とは、等々、重いテーマをこれでもかこれでもか、と投げかけてくる。

それにしても痛快なのは、体一つでこの地に飛び込み、人生を切り開いていった「お花」のようなからゆきさんがいたことである。なかにはオ米さんのように、石光氏の命を救う働きをしながら、満州の地に消えていった女性もいる。きっとそのほうが多数派だろう。それを考えると、シベリア、満州の地に消えていった多くの同胞の魂安からんことを祈らずにいられない。

アルテピアッツァ美唄

廃校になった小学校が安田侃氏の彫刻美術館として再生させたアルテピアッツア美唄

正直、現代彫刻は苦手だった。だが、ここは彫刻が優しい周りの風景とぴったり合っていて、時を忘れてくつろいだ。広い敷地の林の中にそっとオブジェが置かれていたりして探検気分で探すのも楽しい(たまにクマが出るそうだが)

正直、告白しよう。なんとなく、たまらない気分になって、周りに誰もいないのを確かめつつ、オブジェにハグしてしまった・・・もちろん触るのは自由なので怒られるわけではないのだが。何なのだろう、この気分。

特に体育館のなかが落ち着く。

オブジェといつまでも向き合っていたくなった。
永遠に失われた筈の懐かしい風景、懐かしい時間が戻ってきた。